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人間失格 (新潮文庫) 罪と罰。ドストイエフスキイ。 ちらとそれが、頭脳の片隅をかすめて通り、はっと思いました。 もしも、あのドスト氏が、罪と罰をシノニムと考えず、アントニムとして置き並べたものとしたら? 罪と罰、絶対に相通ぜざるもの、氷炭相容れざるもの。 罪と罰をアントとして考えたドストの青みどろ、腐った池、乱麻の奥底の、…… 『人間失格』
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概要 みたか井心亭(せいしんてい)は三鷹市の和風文化施設。 1988年(昭和63年)8月6日開館。 1983年(昭和58年)8月に井上良則夫妻からの寄贈を受け建設された。 庭にはすぐ近くにあった太宰治旧宅の百日紅(さるすべり)の木が移植されている。 小説「おさん」より抜粋 「さるすべりは、これは、一年置きに咲くものかしら。」 と呟きました。 玄関の前の百日紅は、ことしは花が咲きませんでした。 「そうなんでしょうね。」 私もぼんやり答えました。 それが、夫と交した最後の夫婦らしい親しい会話でございました。 詳細 住所:〒181-0013 東京都三鷹市下連雀2-10-48 TEL/FAX:0422-46-3922 時間:9 00~21 30 休館日:月曜日、年末年始(12月29日~1月4日) ※月曜日が休日の場合は開館し、その翌日と翌々日休館 アクセス:JR三鷹駅・南口から徒歩15分 外部リンク ・・・ ※このWikiは個人的なまとめです。記載情報の正確性について保証するものではありません。情報が変更されている場合もありますので、ご利用の際は必ず事前に各施設にご確認ください。
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概要 かつて江戸市中へ飲料水を供給していた上水(上水道として利用される溝渠)で、江戸の六上水の一つ。一部区間は現在でも東京都水道局の現役の水道施設として活用されている。 1919年(大正8年)11月、万助橋付近で児童が玉川上水に落ち、救出のために訓導・松本虎雄が殉職しており、太宰の小説「乞食学生」の中でも触れられている。 1948年(昭和23年)6月13日、太宰治は愛人・山崎富栄と共に玉川上水に入水自殺した。2人の遺体は6日後、太宰の誕生日である6月19日に発見された。 小説「乞食学生」より抜粋 私は、家の方角とは反対の、玉川上水の土堤のほうへ歩いていった。四月なかば、ひるごろの事である。頭を挙げて見ると、玉川上水は深くゆるゆると流れて、両岸の桜は、もう葉桜になっていて真青に茂り合い、青い枝葉が両側から覆いかぶさり、青葉のトンネルのようである。ひっそりしている。ああ、こんな小説が書きたい。こんな作品がいいのだ。なんの作意も無い。 (中略) 私は、流れてゆく桜の花びらを、いつのまにか、追いかけているのだ。ばかのように、せっせと歩きつづけているのだ。その一群の花弁は、のろくなったり、早くなったり、けれども停滞せず、狡猾に身軽くするする流れてゆく。万助橋を過ぎ、もう、ここは井の頭公園の裏である。私は、なおも流れに沿うて、一心不乱に歩きつづける。この辺で、むかし松本訓導という優しい先生が、教え子を救おうとして、かえって自分が溺死なされた。川幅は、こんなに狭いが、ひどく深く、流れの力も強いという話である。この土地の人は、この川を、人喰い川と呼んで、恐怖している。 詳細 ・・・ 外部リンク ・Wikipedia 玉川上水 ※このWikiは個人的なまとめです。記載情報の正確性について保証するものではありません。情報が変更されている場合もありますので、ご利用の際は必ず事前に各施設にご確認ください。
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概要 太宰治が「津軽」執筆の折、親友N(中村貞次郎)君と泊まった宿。「津軽」の中で1泊の出来事をユーモラスに描いている。 持ち主である奥谷福太郎氏と隣接する土地の人達により外ヶ浜町へ無償譲渡され、2008年(平成20年)4月「龍飛岬観光案内所」として生まれ変わった。 太宰をはじめ数多くの作家や画家の筆跡が残る宿帳や、当時の龍飛にまつわる記録資料、著名人がしたためた色紙や作品など、貴重な文化遺産を展示。 太宰が泊まった部屋も復元・公開されている。 小説「津軽」より抜粋 露路をとおって私たちは旅館に着いた。お婆さんが出て来て、私たちを部屋に案内した。この旅館の部屋もまた、おや、と眼をみはるほど小綺麗で、そうして普請も決して薄っぺらでない。まず、どてらに着換えて、私たちは小さい囲炉裏を挟んであぐらをかいて座り、やっと、どうやら、人心地を取かえした。 「ええと、お酒はありますか。」N君は、思慮分別ありげな落ちついた口調で婆さんに尋ねた。答えは、案外であった。 「へえ、ございます。」おもながの、上品な婆さんである。そう答えて、平然としている。N君は苦笑して、 「いや、おばあさん。僕たちは少し多く飲みたいんだ。」 「どうぞ、ナンボでも。」と言って微笑んでいる。 私たちは顔を見合せた。このお婆さんは、このごろお酒が貴重品になっているという事実を、知らないのではなかろうかとさえ疑われた。 「きょう配給がありましてな、近所に、飲まないところもかなりありますから、そんなのを集めて、」と言って、集めるような手つきをして、それから一升瓶をたくさんかかえるように腕をひろげて、「さっき内の者が、こんなに一ぱい持つてまいりました。」 「それくらいあれば、たくさんだ。」と私は、やっと安心して、「この鉄瓶でお燗をしますから、お銚子にお酒をいれて、四、五本、いや、めんどうくさい、六本、すぐに持って来て下さい。」お婆さんの気の変らぬうちに、たくさん取寄せて置いたほうがいいと思った。「お膳は、あとでもいいから。」 詳細 住所:青森県東津軽郡外ヶ浜町字三厩龍浜59-12 TEL/FAX:0174-31-8025 時間 :4月25日から11月30日 9 00-16 30(最終入館16時) 休館日:無休 入館料:無料 駐車場:あり アクセス: 外部リンク ・外ヶ浜町公式ホームページ ・ブログ ・Twitter ・Facebook ※このWikiは個人的なまとめです。記載情報の正確性について保証するものではありません。情報が変更されている場合もありますので、ご利用の際は必ず事前に各施設にご確認ください。
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概要 太宰治の小説「津軽」に登場するのどかな津軽鉄道の芦野公園駅。 喫茶店「駅舎」は、その旧駅舎をそのまま利用している。 小説「津軽」より抜粋 世の中に、酒というものさえなかったら、私は或いは聖人にでもなれたのではなかろうか、と馬鹿らしい事を大真面目で考えて、ぼんやり窓外の津軽平野を眺め、やがて金木を過ぎ、芦野公園という踏切番の小屋くらいの小さい駅に着いて、金木の町長が東京からの帰りに上野で芦野公園の切符を求め、そんな駅は無いと言われ憤然として、津軽鉄道の芦野公園を知らんかと言い、駅員に三十分も調べさせ、とうとう芦野公園の切符をせしめたという昔の逸事を思ひ出し、窓から首を出してその小さい駅を見ると、いましも久留米絣の着物に同じ布地のモンペをはいた若い娘さんが、大きい風呂敷包みを二つ両手にさげて切符を口に咥へたまま改札口に走って来て、眼を軽くつぶって改札の美少年の駅員に顔をそっと差し出し、美少年も心得て、その真白い歯列の間にはさまれてある赤い切符に、まるで熟練の歯科医が前歯を抜くような手つきで、器用にぱちんと鋏を入れた。少女も美少年も、ちっとも笑わぬ。当り前の事のように平然としている。少女が汽車に乗ったとたんに、ごとんと発車だ。まるで、機関手がその娘さんの乗るのを待っていたように思われた。こんなのどかな駅は、全国にもあまり類例が無いに違いない。金木町長は、こんどまた上野駅で、もっと大声で、芦野公園と叫んでもいいと思った。 詳細 住所:〒037-0202 五所川原市金木町芦野84-171 TEL:0173-52-3398 時間:10 30-16 30(月~日) 定休日:水曜日 アクセス: 電車で・・・津軽鉄道・芦野公園駅下車すぐ 車で・・・青森市より40-50分、弘前市より40-50分 外部リンク ・Facebook ・食べログ ※このWikiは個人的なまとめです。記載情報の正確性について保証するものではありません。情報が変更されている場合もありますので、ご利用の際は必ず事前に各施設にご確認ください。
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更新日:2011-08-10 作者名: 太宰 治 読 み: だざい おさむ 作 品: 「走れメロス」「駆け込み訴え」「ダス・ゲマイネ」「彼は昔の彼ならず」「猿ヶ島」「人間失格」「風の便り」「散華」「パンドラの匣」「ヴィヨンの妻」「道化の華」「きりぎりす」 レ ス: 名作文芸・ここがアヤシイ http //www2.bbspink.com/801/kako/979/979005213.html 54 名前: 風と木の名無しさん なんで「走れメロス」でないのかなぁ。 自分のだと挿し絵は抽象的だったけど兄貴の教科書だとモロだったので 驚いたさ(笑 どうみてもセリヌンティウスが首筋にちゅうされて困ってる絵だった!! 59 名前: 風と木の名無しさん 54 なんかその挿絵見たことあるよ! 子供心に衝撃でした…(爆藁 87 名前: 風と木の名無しさん 太宰の「ダス・ゲマイネ」と「駆け込み訴え」。 ダス・ゲマイネ一部抜粋。 「君が海賊の空想に胸をふくらめて、様様のプランを言いだすときの 潤んだ眼だけが、僕の生き甲斐だった。(中略)君は透明だ、純粋だ。 おまけに、―――美少年だ!」 駆け込み訴えはジーザスに執着するユダの愛憎ものです。萌える。 116 名前: 風と木の名無しさん 前述の「走れメロス」。読み返してみたら、王様受けでメロスとセリヌンティウス攻め3P本を作りたくなった。 撃つ出し脳。 しかし新潮文庫の「走れメロス」はいいぞ。メロスだけでなく「ダス・ゲマイネ」「駈込み訴え」も載っててお徳。 298 名前: 風と木の名無しさん ごめん。激しくがいしゅつだけど「走れメロス」~。 クライマックスの"抱擁"連発のシーンをよりによって音読みさせられて 困った経験あり。妄想飛んでる中で普通に音読みはつらかったっす。 801文学部 http //www2.bbspink.com/801/kako/1001/10017/1001744242.html 88 名前: 風と木の名無しさん 堕罪や悪田川は有名どころより小作品の方が(・∀・)イイ! いや、有名作家の作品と言う時点で有名どころだと言われたら実も蓋も無いのですが・・・(ワラ 堕罪の「彼は昔の彼ならず」はイチオシ! 堕罪にありがちなダメオトコに家を貸してしまって1度も家賃が取れない大家さんの回想録です。 惚れた弱みかしら~ 124 名前: 風と木の名無しさん 堕罪の短編読んだ!げまいね。 ああ、まじ萌え萌え。主人公美形萌え。 なにげにモテモテなところも。うはー。 ボーイズよりツボる。文章巧いし(w 小説@801板 http //www2.bbspink.com/801/kako/1010/10107/1010715899.html 181 名前: 風と木の名無しさん 太宰治「猿ヶ島」(『晩年』所収)はどうでしょう? ま、猿なんですけどね…(笑)。でも仕草にいちいち萌えました。 文学作品でハァハァ http //www2.bbspink.com/801/kako/1023/10237/1023720999.html 56 名前: 風と木の名無しさん 走れメロスで・・・ 57 名前: 風と木の名無しさん 人間失格で・・・ 58 名前: 風と木の名無しさん 56 私は昔メロスの挿し絵で萌えました…。 ゼンラでフルティンでマッチョ。 65 名前: 風と木の名無しさん 太宰オサム「駆け込み訴え」 キリ●ト×ユ● 74 名前: 風と木の名無しさん 65 尽くしても尽くしても報われないユ●たん萌えー 裏切りのキスハァハァ 85 名前: 風と木の名無しさん 57 同士。自分的に葉蔵×竹一。 【活字】801図書館【総合】 http //www2.bbspink.com/801/kako/1029/10290/1029095772.html 56 名前: 風と木の名無しさん ユダ×キリスト(・∀・)イイ! 駈込み訴え、あまりの萌えに身悶えしつつ読んでおりました。 「あの人を他人に手渡すくらいなら、手渡す前に、 私はあの人を 殺してあげる」って……。 まわりの弟子たちへの嫉妬、嫉妬に焦がされるユダタソ…。 キリストと同等…いや、上位の位に立とうと必死になるユダタソ…。 貪欲なまでにキリストを求めるユダタソがたまらんです。 気付いているのか気付いていないのかよくわからないが、 ユダの事なんて全く気にしないで自分の理想を 突っ走ってる感じのキリストがたまらんです。 【活字】 801図書館 2 【総合】 http //pie.bbspink.com/test/read.cgi/801/1044893532/ 423 名前: 風と木の名無しさん 投稿日: 03/12/03 13 48 ID vip3Zqdp どなたか、ダザーイ萌えの方はいらっしゃいませんか? 芥側が好きすぎて、授業中ノート五枚にわたって自画像を模写し続けたと聞いて 萌え死にそうにになりました。乙女か! その他も萌えエピソードに事欠かない有様に、悶えっぱなしです(;´Д`)ハァハァ 文壇ものはいいですね。相互関係が凄いことになってるし…。 はまりすぎて本出しそう…。 424 名前: 風と木の名無しさん 投稿日: 03/12/03 13 52 ID sTI/M55y 昔文学スレってあったよね。 あそこでも棗関係はよく話題になってた。 423 ノート5枚にワロタ ダザーイは文学賞ほしくてペコペコしてもらえなかったら 掌返したようにマジギレしてたのにも萌えた 425 名前: 423 投稿日: 03/12/03 14 00 ID vip3Zqdp 424 え、詳しく聞かせてください(*´∀`)萌えー 芥側賞が欲しくて欲しくてたまらず、佐藤ハルーオの家に通いつめたら、 「いや、えこひいきはできない」と言われてしまい。 ある日ハルーオが出先から帰ってきたら勝手にダザーイが上がりこんでて、 部屋の真ん中で泣いてたとか。 なにしてんだ。乙女か。 426 名前: 214 投稿日: 03/12/03 22 22 ID uW5zyo3u ダザイタンカワイー(*´Д`) 427 名前: 投稿日: 03/12/03 22 23 ID uW5zyo3u うお、喰い残し。 騙りゴメソ。 432 名前: 風と木の名無しさん 投稿日: 03/12/08 03 16 ID 6q8tMjY+ あ、ダザーイたんが出てる。 自分は外史×ダザーイで萌えでつ。毎日会ってるのに手紙ってどうよw 433 名前: 風と木の名無しさん 投稿日: 03/12/08 05 04 ID nqEBrgcZ ダザイ萌え(*´Д`) 昼夜がダザイに絡みまくったエピソードが好きだ 本当に迷惑そうで。 弱っちいくせに喧嘩を仕掛けまくる昼夜も萌え 523 名前: 風と木の名無しさん 部ンガク板の堕罪スレから。 410 名前:内田上爾 投稿日:04/01/17 07 46 「太宰治と芥川賞」っていうのを書いた。読んで。 http //news5.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1074283907/ ↑92から http //news4.2ch.net/test/read.cgi/news/1074284553/ ↑70から 萌えた…。見島×堕罪いいねー(*´∀`) 読みやすいので下のリンクがお勧め。 505 名前: 風と木の名無しさん そして話は変わるのですが 今コピーしてあるものをペーストするスレその8 http //www2.bbspink.com/test/read.cgi/801/1066137161/960-961 に書かれている文章をご存知の方はおりませんでしょうか? 萌えで気になるのです。伏字もわからないし……。 商業作品なら読んでみたいと思いまして。 546 名前: 風と木の名無しさん 505 まだ見てるかな~。 それは商業作品ではなくて、ネットで読める(読めた)日記なんです。 詳細はヲチ板のスレを懺悔で検索してみて。 切なくてたまらんです。 しかも事実なのか創作なのか微妙に分からんところがまた悩ましい。 551 名前: 風と木の名無しさん 「僕は祥のセリヌンティウスにはなれるけれど、恋人にはなれないよ」 ぼそっと君が呟く。 セリヌンティウスってなんだっけと思いながら…僕はずっと君の髪を撫でていた。 ああ、太宰治だ。 メロスの帰りを信じて死を決意して捕縛された親友の名が、確かそんな名前だった…と、気が付くのにしばらくかかった。 君は「親友」の僕のためなら命も惜しまないけれど 僕の「恋人」には絶対になってくれないということか。 「…つまり、俺に抱かれるのは死ぬより嫌ってことか?…」 君はふるふると首を横に振ったが…僕にはそういわれたも同然だ。 552 名前: 風と木の名無しさん …僕が女の子だったらよかったのかな… 君がぽつりと言った。 それはずっと昔から僕も考えていたことだ。 もし君が女性だったら、僕はきっと君に求婚していただろう。 一生君ひとりを守って、君のために生きることができるのに、と。 でも、男女でありさえすればすべての恋が実るとは限らない。 君が女性に生まれてくれたとしても、それですべてが解決するわけではない。 もし君が女性で医学の道を選ばなかったとしても、大病院の跡継ぎであることに代わりは無い。 サラリーマンの息子の僕が無事医者になり、君に求婚したとして…すんなりと受け入れられる保証など無い。 たとえ君のお父さんに殴られようと蹴られようと、どんな無理難題を吹っかけられようと、君を許してもらえるのならどんなことにでも耐えるつもりではあるけれど。 それに…もし僕達が男同士でなかったら、僕達のこの10年の長きにわたる深い付き合いはありえなかった。 これほど狂おしく恋うほどに、僕が君を知ることは無かっただろうし。 女性として生まれた君が、今までみたいに僕に関心を持ってくれたとは限らない。 僕達の人生は交わることなく、交わったとしてもこれほど濃密なものではなかっただろう。 お互いの知らないところで、誰か別の相手とささやかな幸せを築いていたかもしれないんだ。 僕達は男同士に生まれたからこそこうして出会い 男同士に生まれたからこそこうして結ばれ得ない。 壁や床に触れている背中や下肢から、しんと寒さが染みとおった。 (from ○ン○ン○ッ○ス) 553 名前: 風と木の名無しさん 551.552 こ、これか。これなのか?! 切ない……10年通してずっとプラトニクなのかな…… 555 名前: 風と木の名無しさん 551-552 すいません、これって何ですか? 557 名前: 風と木の名無しさん 555 505見ろ。 577 名前: 風と木の名無しさん 551-552の日記の過去ログが 546でヒントが出てるスレでうpされてるね。 個人的にはかなり萌える。 興味ある人は落としに行ったらどうでしょうか? 【活字】 801図書館 3 【総合】 http //pie.bbspink.com/test/read.cgi/801/1093773483/ 977 名前:風と木の名無しさん :2006/02/17(金) 05 28 01 ID rMmXFqhQ 梨木カホの「家/守/奇/譚」。 彼岸の友人が何気なく、日常的に訪ねてくるのがいい。 番外編(?)の「村田~」もいい感じ。 ところで 近代文学の同人誌ってあるんだろうか? もちろん腐女子向けで。(18禁とまではいわないが…) 978 名前:風と木の名無しさん :2006/02/17(金) 09 40 50 ID HthmCgHM ガイシ×だざい 犀星×みしま(プラトニックほのぼの) ならもってる 【活字】 801図書館 4 【総合】 http //sakura03.bbspink.com/test/read.cgi/801/1140162594/ 508 :風と木の名無しさん:2006/12/05(火) 03 30 55 ID rAgcorVY0 堕罪治の短編。風/の/便/りに萌えた(・∀・)! 鬱気味な若手作家と、若手が尊敬する作家の文通話だけど、 若手からの四通目がラブレターにしか見えん。先輩作家も素敵だ。 その分最後は寂しかったけど。 517 :風と木の名無しさん:2006/12/09(土) 11 16 19 ID tnyzpTRZ0 508 駆込み訴えの弟子→師匠も濃い愛だよなあ…教徒の方申し訳ない。 人間失格の主人公も、いいやおい要素を持ってるかと 518 :風と木の名無しさん:2006/12/09(土) 13 17 53 ID 1yDeVs320 517 駆け込み訴えは直球だったな… 大学のときこれ扱った講義があってレポート書かされたが、 ふと気がつくと腐視点での考察になってて非常に苦労した。 519 :風と木の名無しさん:2006/12/10(日) 15 00 13 ID xLRaRXHT0 517 「駆 け 込 み 訴え」読んだ 弟子観が変わった…。愛してる愛してる連呼には萌えたけどせつないね 520 :風と木の名無しさん:2006/12/11(月) 13 59 33 ID MHBOpKU20 駆け込みは切ない。 熱烈片恋萌え(セツナス)としては 宮/沢/賢/治 の 「め/く/ら/ぶ/ど/う/と/虹」 がエロすぎて萌えた 641 :風と木の名無しさん:2007/01/23(火) 08 28 10 ID mlGa1EGCO 流れ切ったらスマン 人/間/失/格の主人公と堀/木 カプまでいかなくても好きです。 【活字】 801図書館 5 【総合】 http //sakura03.bbspink.com/test/read.cgi/801/1185067304/ 106 :風と木の名無しさん:2007/09/09(日) 21 20 44 ID w6Bi/dQMO 誰か太/宰/治の人/間/失/格に萌えた人はいませんか…? 108 :風と木の名無しさん:2007/09/11(火) 03 18 20 ID aXsAapv1O 106 誰と誰で?葉象自体が萌え? 太宰は「眼ロス」「書け混み」とかガチすぎるもの以外も全部なんとなく萌える。 109 :風と木の名無しさん:2007/09/11(火) 15 49 09 ID JtaIWzBgO 108 葉象自身にも萌えるし、掘り木×葉象も萌えます。 110 :風と木の名無しさん:2007/09/11(火) 15 51 32 ID HNV/CG0a0 109 堀り木って…?と思って久しぶりに読み返したら萌えた。新しい萌えをありがとう。 114 :風と木の名無しさん:2007/09/12(水) 00 24 56 ID VGrLVbxbO 110 どういたしましてノシ 121 :風と木の名無しさん:2007/09/16(日) 21 49 19 ID osNKaYlz0 120 カケコミはもう、あれは次元が違うよね。完璧すぐる。 DZIはパソドラでも萌えた覚えが。散/華とか。 散/華はYMGS萌えも含。 123 :風と木の名無しさん:2007/09/17(月) 14 10 07 ID ANM0EUkQ0 121 やばいよねカケコミ愛がこゆいよ…!せつねー サンゲ読ようと思って青.空.見てきた。 YMGS『さん』って呼んでるんだっけか…! あと、作者萌えに通じてしまうんだろうけど ヴィ4とか道家の花とかき.り.ぎ.り.すとかの、へたれ男にもゆる 137 :風と木の名無しさん:2007/10/02(火) 01 39 59 ID 0CAMMysl0 あらすじで読む~TVで上んつがプレゼンやってて興味わいた 人間失格読んだ。 葉蔵、絶対竹一は色じかけで落とそうとしてる。 しなをつくったりしすぎ。 138 :風と木の名無しさん:2007/10/02(火) 03 29 02 ID TjuMe+pAO あの「ワザワザ」は「わざわざそんな真似しなくても君は十分(ry」って意味だったのか… 215 :風と木の名無しさん:2007/11/21(水) 18 32 28 ID d/k89muOO イイ!と聞いてはいたものの ダザーイの駈けコミ訴え。 すんばらしく良かった!愛憎万歳! あなたさえ自分を分かってくれるのなら世間の誰に理解されなくたっていい。 他の誰より深くあなたを愛しています。 一生自分が守るから、もう伝道なんてやめて静かにくらしましょう。 と激しい告白をするものの受け入れられず、すれ違いに心きしませ、ついには裏切りを選ぶ。 なんという…、なんという……っ! つかダザーイはこんなもの書いてよく怒られなかったなぁ。 216 :風と木の名無しさん:2007/11/22(木) 08 07 51 ID Vk+FJG+G0 太宰くん自身、師匠といろいろあったしね…。 ユダもまっつぁおなツンデレ師弟愛。 【活字】 801図書館 6 【総合】 http //yomi.bbspink.com/test/read.cgi/801/1198722830/ 658 :風と木の名無しさん:2009/06/13(土) 20 39 40 ID iIfjWevfO 太宰治の「駆込み訴え」読んだ キリスト←ユダの熱烈片思い 俺のものにならないならいっそ殺してしまいたい ヤンデレか!w 狂おしいほど愛おしいが好きな人にオススメ ▲PAGETOP 今日: - 昨日: - 合計: -
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MT*2_36-右大臣実朝(二)太宰治 2010.3.27 第二巻 第三六号 右大臣実朝(二) 太宰治 imageプラグインエラー 画像を取得できませんでした。しばらく時間を置いてから再度お試しください。 ◇参照:『改訂総合資料日本史』(浜島書店、1985.2)、『完全制覇・鎌倉幕府』鈴木亨(立風書房、2000.11)。 【週刊ミルクティー*第二巻 第三六号】 (http //www33.atwiki.jp/asterisk99?cmd=upload act=open pageid=171 file=milk_tea_2_36.zip) ※ クリックするとダウンロードを開始します。 (592KB) 月末最終号:無料 p.258 / *99 出版 付録:別冊ミルクティー*Wikipedia(53項目)p.286 ※ 傍点や傍線の見えにくい場合は、T-Time の文字品質(アンチエイリアス)を「標準」にしてご覧ください。 飛び出せ! 週刊でもくり草子* オリジナル版 でもくり草子*現代表記版 右大臣実朝(二) 右大臣実朝(二) 太宰治 太宰治 (略)まさにこの御年二十一歳、さらに翌年の御年二十二歳の頃が、将軍家御一身に於かれましても最もお得意の御時期ではなかつたらうかと、私には思はれてなりませぬ。甚だ失礼の推量で、まことに申し上げにくい事でございます。けれども、どうも、それから後は(略)どこやら奇妙な、おそろしいものの気配が、何一つ実体はないのに、それでもなんだか、いやな、灰色のものの影が、御ところの内外にうろついてゐるやうに思はれて、時々ゆゑ知らず、ぞつとする事などもございまして、その不透明な、いまはしい、不安な物の影が年一年と、色濃くなつてまゐりまして、(略)これは何か起らずにはすまぬ、驚天動地の大不祥事が起る、と御ところの人たちひとしく、口には言ひませぬけれども暗黙の裡にうなづき合つてゐたほどでございまして、人の心も解け合はず、お互ひ、これといふ理由もなしに、よそよそしく、疑ひおびえ、とてもこの建暦二年の御時勢の華やかさとは較べものにも何もならぬものでございました。この建暦二年の頃には、まだまだ人の心も、なごやかに睦み合ひ、上のお好みになるところ、下も無邪気にそれを習ひ、(略)まづ入道広元さま、相州さまの御弟君武州時房さま、御長子泰時さま、それから三浦の義村さま、結城の三郎朝光さま、和田の朝盛さま、内藤知親さま、東の重胤さまなどといふ猛将お武骨の面々が、いつのまにやらいつぱしのお歌人になり澄まし、仔細らしく三十一文字を案じて、赤焼けた太いお首をひねりながら御廊下をお歩きになつて居られるお姿などわけもなく微笑しい感じがいたしました。なんでもかでもお歌さへ作れば、よほどの過失があつても、おゆるし下さるさうだなどといふ物欲しげなお気持から、三十一文字を習ひはじめる御家人衆も多く出て来て、(略)真に駘蕩たるものがございました。 (略)まさにこの御年二十一歳、さらに翌年の御年二十二歳のころが、将軍家ご一身におかれましても最もお得意のご時期ではなかったろうかと、私には思われてなりませぬ。はなはだ失礼の推量で、まことに申し上げにくいことでございます。けれども、どうも、それから後は(略)どこやら奇妙な、おそろしいものの気配が、なにひとつ実体はないのに、それでもなんだか、いやな、灰色のものの影が、御ところの内外にうろついているように思われて、時々ゆえ知らず、ぞっとすることなどもございまして、その不透明な、いまわしい、不安な物の影が年一年と、色濃くなってまいりまして、(略)これは何かおこらずにはすまぬ、驚天動地の大不祥事がおこる、と御ところの人たちひとしく、口には言いませぬけれども暗黙の裡(うち)にうなずきあっていたほどでございまして、人の心も解けあわず、お互い、これという理由もなしに、よそよそしく、疑いおびえ、とてもこの建暦二年(一二一二)のご時勢のはなやかさとはくらべものにも何もならぬものでございました。この建暦二年のころには、まだまだ人の心も、なごやかに睦(むつ)み合い、上のお好みになるところ、下も無邪気にそれをならい、(略)まず入道広元さま、相州さまの御弟君武州時房(ときふさ)さま、ご長子泰時さま、それから三浦の義村さま、結城の三郎朝光さま、和田の朝盛さま、内藤知親さま、東(とう)の重胤(しげたね)さまなどという猛将・お武骨の面々が、いつのまにやらいっぱしのお歌人になりすまし、仔細らしく三十一文字を案じて、赤焼けた太いお首をひねりながらご廊下をお歩きになっておられるお姿など、わけもなく微笑(ほほえ)ましい感じがいたしました。なんでもかでもお歌さえ作れば、よほどの過失があっても、おゆるしくださるそうだなどという物欲(ものほ)しげなお気持ちから、三十一文字を習いはじめる御家人衆も多く出てきて、(略)まことに駘蕩(たいとう)たるものがございました。 ※ 将軍家……源実朝のこと。 ※ 駘蕩 ……のどかなさま。のんびりしたさま。 2_36.rm (朗読:RealMedia 形式 464KB、3'45'') 太宰治 だざい おさむ 1909-1948(明治42.6.19-昭和23.6.13) 小説家。本名、津島修治。青森県生れ。東大中退。屈折した罪悪意識を道化と笑いでつつんだ秀作が多い。第二次大戦後は虚無的・頽廃的な社会感覚を作品化。自殺。作「晩年」「虚構の彷徨」「斜陽」「人間失格」など。 ◇参照:Wikipedia 太宰治、『広辞苑 第六版』(岩波書店)。 底本 底本:「太宰治全集第五巻」筑摩書房 1990(平成2)年2月27日初版第1刷発行 NDC 分類:913(日本文学:小説.物語) http //yozora.kazumi386.org/9/1/ndc913.html 主要キャラ一覧 将軍家、右大臣 → 源実朝。 故右大将 → 源頼朝。 尼御台 → 北条政子。 御台所 → 源実朝の室。坊門信清の娘。 相州、執権相模守 → 北条義時。 武州 → 北条時房。相州(義時)の弟。 左金吾将軍、二品禅室 → 源頼家。頼朝の長子。実朝の兄。 前大膳大夫、大官令、陸奥守 → 大江広元。 前権大納言 → 坊門信清。 善信 ぜんしん → 三善康信。問注所入道か。 左衛門尉 → 和田義盛。侍所別当。 武蔵守 → 大江親広か。広元の長子。 修理亮、匠作 → 北条泰時。義時の長子。 一幡 → 源頼家の長子。 善哉 ぜんざい → 源頼家の次男。号、公暁。 千寿 → 源頼家の三男。号、栄実。 千幡 せんまん → のちの源実朝。 上皇 → 後鳥羽上皇か。 疑問点 五月三日、酉剋 → 五月二日、酉剋 【『ザ・太宰治』では「二日」】 左衙門尉 → 左衛門尉 【衛、か】 以上、2件。 難字、求めよ。 三間所 遠向 少生 調禦 追奔 藤御壷 スリーパーズ日記 花咲きまえの花冷えの一週間。二十八日(日)、村山俊太郎「子どもの世界」など五編が青空文庫にて公開。校正担当は土屋隆さん。収録作品数が 8900 をこえる。(2010.3.29) 2010.3.29:公開 でもくり草子、生活ずりずり教室。/PoorBook G3'99 翻訳・朗読・転載は仕組まれた自由です。 カウンタ: - 「御ところ」は「おところ」なのか「みところ」なのかわからないので、一応「おんところ」と読んでおきました。 -- しだ (2010-03-30 02 07 02) ちょっと調べ物をしようとして、鈴木さんの「あっとちゃんねる」と「青空文庫資料集」をおとずれようとして、リンク先が消えていることに気がつく。 -- しだ (2010-04-03 01 32 39) 名前 コメント
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概要 小さな飲食店が軒を並べていて、太宰が通ったことで通称ができた。 行きつけの小料理屋「喜久屋」が、この通りの三鷹駅近くにあった。 案内板が設置されている。 詳細 住所:東京都三鷹市下連雀3-27-8 ムサシ三鷹ビルの東側の通り 外部リンク ・・・ ※このWikiは個人的なまとめです。記載情報の正確性について保証するものではありません。情報が変更されている場合もありますので、ご利用の際は必ず事前に各施設にご確認ください。
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ダーサ(2) クリシュナの別名。 「奴隷」の意。
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MT*2_37-右大臣実朝(三)太宰治 2010.4.3 第二巻 第三七号 右大臣実朝(三) 太宰治 imageプラグインエラー 画像を取得できませんでした。しばらく時間を置いてから再度お試しください。 【週刊ミルクティー*第二巻 第三七号】 (http //www.dl-market.com/product_info.php?products_id=61253) ※ クリックするとダウンロードサイトへジャンプします。 (664KB) ※ オリジナル版に加えて、ミルクティー*現代表記版を同時収録。 ※ JIS X 0213・ttz 形式。 ※ この作品は青空文庫にて公開中です。翻訳・朗読・転載は自由です。 (c) Copyright is public domain. 定価:200円(税込) p.258 / *99 出版 付録:別冊ミルクティー*Wikipedia(87項目)p.392 ※ 傍点や傍線の見えにくい場合は、T-Time の文字品質(アンチエイリアス)を「標準」にしてご覧ください。 飛び出せ! 週刊ミルクティー* オリジナル版 週刊ミルクティー*現代表記版 右大臣実朝(三) 右大臣実朝(三) 太宰治 太宰治 (略)けれどもその折ちやうど御加持に伺候して居られた葉上僧正さまが、その御容態の御宿酔に過ぎざる事を見てとり、お寺から或る種の名薬を取りよせて一盞献じましたところが、たちまち御悩も薄らぎ、僧正さまは頗る面目をほどこしましたが、その名薬といふのは、ただのお茶でございましたさうで、(略)この葉上僧正栄西さまは、御承知のとほり、天平のころからの二大宗教、すなはち伝教大師このかたの天台宗と弘法大師を御祖師とする真言宗と、この二つが、だんだんと御開祖のお気持から離れて御加持御祈祷専門の俗宗になつてしまつたのにあきたらず思召され、再度の御渡宋より御帰朝以来、達磨宗すなはち禅宗といふ新宗派を御開立しようとなされて諸方を奔走し、一方、黒谷の御上人が念仏宗すなはち浄土宗を称へられたのもその頃の事でございましたが、両宗派ともそれぞれ上下の信仰を得て、たうとう南都北嶺の嫉視を招き、共にさまざまの迫害を受けられたやうでございまして、栄西さまは、鎌倉へのがれてまゐり、寿福寺を御草創なされ、建保三年六月に痢病でおなくなりなさるまで、ほとんどそこに居られまして、往年に新宗派を称へ、新智識を以て片端から論敵を説破なされた御元気は、その御晩年には、片鱗だも見受けられず、さらに大きくお悟りになつたところでもあつたのでございませうか、別段、御宗派にこだはるやうなところも無く、御加持御祈祷もすすんでなさいましたし、おひまの折には、お茶のお徳をほめたたへる御本などと、珍奇なものまでお書きあらはしになるくらゐでございましたから、私たちの眼には、ただおずるいやうな飄逸の僧正さまとしか見えませんでした。 (略)けれどもそのおりちょうどご加持に伺候しておられた葉上僧正さまが、そのご容態のお宿酔に過ぎざることを見てとり、お寺からある種の名薬を取りよせて一盞(いっさん)献じましたところが、たちまち御悩も薄らぎ、僧正さまはすこぶる面目をほどこしましたが、その名薬というのは、ただのお茶でございましたそうで、(略)この葉上僧正栄西さまは、ご承知のとおり、天平のころからの二大宗教、すなわち伝教大師このかたの天台宗と弘法大師をご祖師とする真言宗と、この二つが、だんだんとご開祖のお気持ちから離れてご加持・ご祈祷専門の俗宗になってしまったのにあきたらずおぼしめされ、再度のご渡宋よりご帰朝以来、達磨宗すなわち禅宗という新宗派をご開立しようとなされて諸方を奔走し、一方、黒谷の御上人が念仏宗すなわち浄土宗をとなえられたのもそのころの事でございましたが、両宗派ともそれぞれ上下の信仰を得て、とうとう南都北嶺の嫉視(しっし)をまねき、ともにさまざまの迫害を受けられたようでございまして、栄西さまは、鎌倉へのがれてまいり、寿福寺をご草創なされ、建保三年(一二一五)六月に痢病でおなくなりなさるまで、ほとんどそこにおられまして、往年に新宗派をとなえ、新知識をもって片端から論敵を説破なされたお元気は、そのご晩年には、片鱗だも見受けられず、さらに大きくお悟りになったところでもあったのでございましょうか、別段、ご宗派にこだわるようなところもなく、ご加持・ご祈祷もすすんでなさいましたし、おひまの折には、お茶のお徳をほめたたえる御本などと、珍奇なものまでお書きあらわしになるくらいでございましたから、私たちの眼には、ただおずるいような飄逸の僧正さまとしか見えませんでした。 ※ 将軍家 ……源実朝 1192-1219 第3代将軍。頼朝の次子。 ※ 葉上僧正 ……栄西 1141-1215 日本臨済宗の祖。備中の人。 ※ 黒谷の上人……法然 1133-1212 浄土宗の開祖。美作の人。 2_37.rm (朗読:RealMedia 形式 384KB、3'07'') 太宰治 だざい おさむ 1909-1948(明治42.6.19-昭和23.6.13) 小説家。本名、津島修治。青森県生れ。東大中退。屈折した罪悪意識を道化と笑いでつつんだ秀作が多い。第二次大戦後は虚無的・頽廃的な社会感覚を作品化。自殺。作「晩年」「虚構の彷徨」「斜陽」「人間失格」など。 ◇参照:Wikipedia 太宰治、『広辞苑 第六版』(岩波書店)。 底本 底本:「太宰治全集第五巻」筑摩書房 1990(平成2)年2月27日初版第1刷発行 NDC 分類:913(日本文学:小説.物語) http //yozora.kazumi386.org/9/1/ndc913.html 主要キャラ一覧 将軍家、右大臣 → 源実朝。 故右大将 → 源頼朝。 尼御台 → 北条政子。 御台所、西八条禅尼 → 源実朝の正室。坊門信清の娘。 相州、執権相模守 → 北条義時。 武州 → 北条時房。相州(義時)の弟。 左金吾将軍、二品禅室 → 源頼家。頼朝の長子。実朝の兄。 前大膳大夫、大官令、陸奥守 → 大江広元。覚阿入道。 前権大納言 → 坊門信清。 善信 ぜんしん → 三善康信。問注所入道か。 左衛門尉 → 和田義盛。侍所別当。 武蔵守 → 大江親広か。広元の長子。 修理亮、匠作 → 北条泰時。義時の長子。 一幡 → 源頼家の長子。 善哉 ぜんざい → 源頼家の次男。法名、公暁。(『完全制覇』は「ぜんや」p.121) 千寿 → 源頼家の三男。法名、栄実。 千幡 せんまん → のちの源実朝。 上皇 → 後鳥羽上皇か。 年表 建久六(一一九五) 三月 頼朝、上洛のおり、東大寺の大仏殿に参詣。 建仁三(一二〇三) 九月七日 叙従五位下、任征夷大将軍。 一〇月二四日 任右兵衛佐。 元久元(一二〇四) 一月七日 叙従五位上。 三月六日 任右近少将。 元久二(一二〇五) 一月五日 正五下。 一月二九日 任右中将、兼加賀介。 建永元(一二〇六) 二月二二日 叙従四下。 承元元(一二〇七) 一月五日 従四上。 承元二(一二〇八) 実朝十七歳の御時、清綱から相伝の『古今和歌集』献上。 一二月九日 正四下。 承元三(一二〇九) 四月一〇日 叙従三位。 五月二六日 更任右中将。 建暦元(一二一一) 一月五日 正三位。 六月三日 実朝、御寝のさい、高僧一人夢の中にあらわれて、宋朝医王山の長老たりとのお告げ。 建暦二(一二一二) 八月、十一月 和歌の文書をかずかず献上。 九月 筑後前司頼時に託して消息ならびに和歌の文書を実朝に送る。 一二月一〇日 従二位。 建暦三(一二一三) 二月二七日 正二位。このころから実朝、官位の昇進を京都へ催促。 六月二六日 御所新造のこと群議。去る五月合戦の時、焼失するによりてなり。 七月七日 御所において和歌御会。 七月九日 御所の造営、重ねて沙汰あり。 七月二〇日 故和田義盛の妻、厚免をこうむる。 七月二三日 新造の御所のこと沙汰あり。 八月三日 御所の上棟。相州以下諸人群参。 八月六日 新造の御所の障子の画図の風情のこと、先々の絵御意に相かなわず。 八月一七日 京極三位、二条中将雅経に付し、和歌・文書などを実朝に献ず。 八月一八日 子剋、実朝、南面に出御。歌数首、独吟。丑剋におよびて、夢のごとくして青女一人前庭をはしり通る。 八月二〇日 実朝、広元の邸より新御所に入御。 八月二二日 鶴岳上宮の宝殿に、黄蝶大小群集。 九月二二日 実朝、火取沢辺に逍遥。 九月二六日 長沼宗政、御ところにおいて大声をはりあげ、実朝の悪口。 一〇月三日 今日御書をもって、大宮大納言殿の方におおせらるることあり。公家より西国の御領などの臨時の公事を課せらるるなり、一切ご沙汰におよぶべからざるの由。広元朝臣のごとき、これを申すといえども、おおせていわく、一向停止の儀においては、しかるべからず。 一〇月一三日 夜に入って雷鳴。御所の南庭に、狐鳴くことたびたびにおよぶ。 一一月二三日 京極三位、相伝の私本『万葉集』一部を実朝に献ず。 一二月三日 実朝、寿福寺に御参。左衛門尉義盛以下の亡卒得脱のため。 一二月七日 鷹狩りを停止すべきの旨、諸国の守護人らにおおせらる。 建保二(一二一四) 一月 二所詣に進発。 二月三日 一行、無事に鎌倉へ帰着。 二月一日 亥刻地震。 二月四日 実朝、病悩。葉上、茶一盞と一巻の書を献ぜしむ。 二月七日 寅剋大地震。 二月一四日 実朝、烟霞の興をもよおされ、杜戸浦に出でしめ給う。由比浜より還御。 三月九日 実朝にわかに永福寺に御出、桜花をご覧ぜんがためなり。 四月三日 亥剋大地震。 五月から六月にかけて大旱魃。 六月三日 諸国炎旱。実朝、祈雨のために八戒を保ち、法花経を転読。 六月五日 甘雨降る。 六月一三日 関東の諸御領の乃貢のこと、来秋より三分の二を免ぜらるべし。 八月七日 甚雨洪水。 八月二九日 去る十六日、仙洞秋十首の歌合わせ。二条中将雅経、写し進ず。 九月二二日 丑剋大地震。 一〇月六日 亥剋大地震。 一〇月一〇日 申刻甚雨雷鳴。 一一月二五日 六波羅の飛脚到着。和田義盛、大学助義清らの余類洛陽に住し、故金吾将軍家の御息をもって大将軍となし、反逆を巧らむの由、その聞こえあるによりて、去る十三日、前大膳大夫の在京の家人ら、くだんの旅亭を襲うのところ、禅師たちまち自殺す、伴党また逃亡すと云々。 一二月四日 亥剋、由比浜辺焼亡。 建保二(一二一四)から三年にかけて、ほとんど連日の大地震、それに火事やら、大風やら、あるいは旱魃に悩むかと思うと、こんどは大雨洪水、またじつにものすごい雷鳴もしばしばございまして、天体においてさえ日食・月食の異変があり、関東の人心恟々たるもの。 建保三(一二一五) 一月六日 時政、北条郡において卒去。 一月八日 伊豆国の飛御参ず。 一月一一日 若宮辻の人家焼亡。 二月二四日 戌刻、雷電数声。 三月五日 実朝、花を覧んがため、三浦の横須賀に御出。 三月二〇日 京進の貢馬のことは、その役人面々に、逸物三疋をもって、兼日用意せしめ、見参に入るべし、選び定むることは、お計らいあるべきなりと云々。 六月二〇日 子剋、霊社鳴動。両三度におよぶ。 七月六日 坊門、さる六月二日仙洞歌合わせの一巻を実朝に進ぜらる、これ内々の勅諚によりてなり。 六月 栄西、没。 七月 仙洞御所より勅諚、『仙洞歌合』一巻が実朝に下し送られる。 八月一八日 甚雨、午剋大風、鶴岳八幡宮の鳥居転倒。 八月一九日 地震。 八月二一日 巳剋、鷺、御所の西侍の上に集まる、未剋地震。 八月二二日 地震、鷺の怪のこと、お占いをおこなわるるのところ、重変の由これを申す、よって御所を去って、相州の御亭に入御。 九月六日 丑刻大地震。 九月八日 寅刻大地震。 九月一一日 寅刻大地震、未剋またすこし動ず。 九月一三日 未剋地震。 九月一四日 酉剋地震、戌剋地震、同時に雷鳴。 九月一六日 卯剋地震。 九月一七日 戌剋三度地震。 九月二一日 連々の地震によりて、御祈をおこなわる。 九月二六日 雷鳴数声、降雹の大なること李子のごとし。 一〇月二日 寅刻地震。 一一月八日 実朝、相州御亭より御所に還御。鷺の怪によりて、ご旅宿すでに七十五日を経おわんぬ。 一一月二五日 幕府において、にわかに仏事。導師は行勇律師。実朝、去夜夢想あり、義盛已下の亡卒御前に群参。 一二月一五日 亥刻地震。 一二月一六日 終日風はげし、連々の天変などのこと、実朝ことにご謹慎あるべきの変なりと云々。 建保四(一二一六) 一月一七日 将軍家の持仏堂の本尊、運慶造りたてまつり、京都より渡したてまつらる。開眼供養、信濃守行光奉行としてその沙汰あり。 一月二八日 はじめて本尊を持仏堂に安置。供養の儀。 三月七日 海水色を変ず、赤きこと紅を浸せるがごとし。 三月二五日 御台所厳閤の薨去によりて、信濃守行光の山庄に渡御、密儀。 四月九日 常の御所の南面において、終日諸人の愁訴を聴断。 五月二四日 実朝、山内辺を歴覧。期せざるの間、諸人追って馳せ参る。 六月八日 陳和卿、鎌倉へ参着。筑後朝重の宅を旅宿となす。 六月一五日 和卿を御所に召して、対面。 六月二〇日 御二十五歳のお若さをもって権中納言に任ぜられる。 閏六月一四日 広元、今月一日大江姓にうつりおわんぬ。 七月二十日 左近中将を兼ねる。 九月二〇日 広元、御所に参じ、相州の中使と称して、ご昇進の間のこと、諷諌し申す。 一〇月五日 実朝、諸人の庭中に言上することを聞かしめ給う。 一一月二四日 実朝、唐船を修造すべきの由、宋人和卿に仰す。また扈従の人六十余輩を定めらる、朝光これを奉行。 一二月一日 諸人の愁訴相積るの由、聞食すによりて、年内に是非せしむべきの旨、奉行人らにおおせらる。 建保五(一二一七) 三月一〇日 実朝、永福寺に御出。そののち行村の宅に入御、和歌の御会。 四月一七日 和卿、唐船を造りおわんぬ。浮かべ出すことあたわず、よって還御。彼船はいたずらに砂頭に朽ち損ず。 五月一一日 鶴岳八幡宮の別当定暁、腫物をわずらいて入滅。 五月二七日 去る元年(一二一三)五月亡卒せる義盛以下の所領、神社仏寺のこと、本主の例にまかせて興行せしむべきの由、今日彼の跡拝領の輩におおせらると云々。 六月二〇日 公暁、園城寺より下着。政子のはからいによって鶴岳宮の別当に任ぜられる。 七月二四日 京都の使者参着。去る十日より上皇ご瘧病、毎日発らしめ給う、内外のご祈祷さらにその験見えずと云々。 七月二六日 山城行村、使節として上洛。院、御悩のことによりてなり。 七月から八月にかけて、仙洞御所の御悩。見舞いの使節を上洛せしめ、荒駒三百三十頭を献上。修法を仰せ出され院の御悩平癒を祈念。 九月一三日 実朝、三浦に渡御。 九月三〇日 永福寺にはじめて舎利会。政子、実朝ならびに御台所御出。 一〇月一一日 公暁、鶴岳別当職に補せらるるの後、はじめて神拝。宿願によりて、今日以後一千日、宮寺に参籠。 建保六(一二一八) 一月一三日 任権大納言。 政子、二度目の熊野詣。ついでに京都にも立ち寄る。 二月四日 政子、上洛。 三月六日 左近大将。 四月二九日 申剋、政子、還向。さる十四日、従三位に叙せしむるべきの由宣下。三条清範をもって、くだんの位記を三品の御亭にくださる。同十五日、仙洞よりご対面あるべきの由仰せくださるといえども、しかるべからざるの旨これを申され、即時下向。 六月二〇日 内蔵頭忠綱、勅使として下向、参着。 六月二一日 午剋、忠綱朝臣くだんのご調度などを御所に運ばしむ。実朝、忠綱を簾中に召して対面。 六月二七日 将軍家、大将に任ぜられ給う。拝賀の式。鶴岳宮に参詣。 七月八日 左大将家、直衣始。鶴岳宮に御参、午剋出御。 八月一五日 鶴岳放生会、実朝、参宮。 八月一六日 実朝、御出。流鏑馬。 九月一三日 御所にて和歌の御会。 一〇月九日 内大臣。 一〇月二六日 京都の使者参ず。去る十三日、政子従二位に叙せしめ給う。 一二月二日 実朝、右大臣に任ぜられる。 一二月五日 鶴岳の別当公暁、宮寺に参籠。さらに退出せられず、数ヶの祈請。除髪の儀なし。白河義典をもって、大神宮に奉幣せんがため、進発せしむ。そのほか諸社に使節を立てらるるの由、今日御所中に披露。 一二月二〇日 実朝、政所始の儀式。 一二月二一日 実朝、大臣拝賀のために、明年正月鶴岳宮に御参あるべきによって、ご装束・御車已下の調度など、また仙洞よりこれをくだされ、今日到着。扈従の上達部坊門亜相已下参向せらるべしと云々。 建保七(一二一九) 一月七日 御所の近辺、入道覚阿の亭以下四十余宇焼亡。 一月一五日 大倉辺焼亡す、数十宇災。 一月二三日 晩頭雪降る、夜に入って尺に満つ。 一月二四日 白雪山に満ち地に積もる。 一月二七日 夜に入って雪降る、積もること二尺余、今日将軍家右大臣拝賀のため、鶴岳八幡宮に御参。戌の時、実朝、最期をとげる。 一月二八日 実朝、葬礼。 二月二日 加藤判官六波羅に馳せつき、右府将軍ご他界のよし申す。 四月一二日 承久元年と改元。 疑問点 姶めて → 始めて 【始、か】 勿諭 → 勿論 【論、か】 打ち拾て → 打ち捨て 【捨、か】 以上、3件。 難字、求めよ。 杜戸浦 北条郡 伊豆国。 医王山 宋。 乃貢 重変 三反 臨江王 スリーパーズ日記 花咲きまえの花冷えの二週間。ちらほらと梅が咲き始め。ようやく湯タンポなしでも過ごせる。山折哲雄『天皇の宮中祭祀と日本人』(日本文芸社、2010.1)読了。チベット仏教の解説部分が参考になる。一神教としての明治神道・国家神道という主張は感覚的には理解できるものの、明治とそれ以前の神道の対比が弱い。皇族間の紛争にも触れていない。 弥太郎の家の中にぶらさがっているのは、コウゾだろうか、ビロウだろうか。武市さんにうばわれちゃったぜよ。 贈与、贈り物、贈物、土産、みやげ、ギフト、プレゼント……。 モース『贈与論〈Essai sur le don〉』。ドン。Wikipedia の「贈与」の項は、法概念の記述にかたよっている。経済人類学、カール・ポランニー……。最寄りの図書館には『贈与論』がない。かわりに、栗本慎一郎ものを数冊確認。『パンツをはいた』栗ちゃんを読み始める。 「経済」とか「貨幣」とか「金融」といった共同勘違いが生じる以前から、贈与・送り物の交換の長い歴史があって、動物の広くに求愛給餌や遠吠え・クジラの歌といったコミュニケーションの交換があることを考えると、言葉や文字の発明・一般化に先だって、ことばにならない歌のおくりあい、ふしまわしのついた記憶の交換、意味のない(もしくは意味を超越した)エモーショナルなサウンドの贈与がかわされていた時期のほうが圧倒的に長かったことが想像される。 ペットと飼い主のあいだには利得の関係というよりも、しばりのゆるい贈与・交感による関係がなりたっているように見えるし、幼児と成人、児童と老人のあいだにも、理的な損得勘定では説明のつかないインターアクション(相互作用)が見られる。太陽や月や気象現象や地殻変動を天や神からの一方的な贈与とみれば、いえにえや人柱という行為もまた交信・贈与のための手段であったことがうかがえるし、自爆テロルやマルチ商法・振込め詐欺にも与える/与えられるの贈与関係が組みこまれている。(2010.4.4) 2010.4.3:公開 国家公案医院チュー。 パンティーをかぶったサルー/PoorBook G3'99 翻訳・朗読・転載は自由です。 カウンタ: - 一匹見つけたら十匹いると思え、とはよく言ったもの。姶め……岡本綺堂「青蛙堂鬼談」、森鴎外「伊沢蘭軒」以上2作品に各1件ずつ。/勿諭……岡本綺堂「綺堂むかし語り」に2件、久坂葉子「幾度目かの最期」に1件。拾て……佐々木味津三「右門捕物帖 七化け役者」に1件。「衙門」の誤用は太宰治「右大臣実朝」の1件のみ。 -- しだ (2010-04-08 02 41 13) ところで、「右大臣実朝」は校正者の記録がない。校正を経ていないのか、それとも何らかの段階で記録を誤削除したものか、不明。初期の登録作品に校正を経ていないものがあると聞いた記憶はない、……ような気がする。 -- しだ (2010-04-08 02 41 52) 名前 コメント